5/14日新宿でのライブのこと。
ずいぶん前のことのように思うんだけど…
5/14は東京でコピーバンドのライブをしてきました。
コピーバンドで遠征というのは、なかなか稀なことだと思いますが、私達はこれが始めてではなくて、長野と白馬村でも呼んでいただいた事があって、色んなところでさせていただけてありがたいです。
今回のイベントはうちのバンドのギターのさだっちが、主催というか、音頭をとってくれたのでできたイベント。
忙しいのに、本当に感謝しています。
情熱がすごい人なのです。足を向けては寝れません!!
企画段階では、去年の秋ごろのこと。
バンドで雑談中に、前々から言っていた東京でもやってみたいという一言が、盛り上がった?のが発端だったかなぁ。
もともと、長野へ向かう車の中などでも、ちらっと話題になったりもしていたのだけど、その時点ではまだ「いけたらいいねー」という程度の話でした。
それが、現実味を帯びてきたのが今年に入ってから。
そこから、あれよあれよという間に、出演バンドが決まって、場所も決まって。
出張が東京に多い、さだっちだからこそ、自分で足を運んだりして確実に、さだっちの気質が誠実だからこそ、出来た事なんだろうなぁと思います。
しかし、そこに起こった大震災。
起こってから、本番直前まで、本当にできるのかどうかという不安が付きまとっていました。
ライブハウスにも連絡が繋がらない…といったこともあったし、節電、お客さんが来られるか、お客さんが来たい気分なのか、、などなど。
でも、もうキャンセルをするにもキャンセル料が100%発生する期間に入っていたりもしたし、なにより出演者は全員楽しみにしているだろうし。
ある意味、強行突破くらいの気持ちだったのかもしれない。
でも、嘘じゃなく、根底にあったのは、何か届けたいっていう思いだった。
ツイッターなどで、お花見をしている人や飲み会をしている人、演劇などの公演など、文化や娯楽が叩かれる対象に度々挙がっていたけど、皆が落ち込んでどうするの?という気持ちもあったし、経済を止めてどうしたいの?って。
どんなことをしていても、気持ちは一緒です。
でも、どうにかしなくちゃ。
私達なんかのイベントで、集まる義援金なんて、トップアーティストが集める金額からしたら微々たるものです。
それでも、義援金を集めようって決まった。
何かできることなんて、そんなことと、一生懸命にステージを成功させる事。それくらい。
みんながどんな思いでステージに立ったかは、それぞれだから分からないけど、私は京都に住んでいたから、被害がほとんど無かったとはいえ、あの阪神淡路大震災のあの恐怖も経験しています。
現実起こったことよりも、また起こるかもしれないという、次は京都に来るかもしれないという、余震の度の恐怖。
それが、東北や関東のいたるところで、みんなが抱えている不安やストレスなんだろうとも思った。
うちのバンドには実際にあの日に神戸にいたメンバーがいます。
彼らは、もっと色んな思いがあったのだろうと思います。
伝えたかったのは、遠くにいても、他人事なんかに思っていないって事。本当に心配しているし、どうにかしないといけないって、思って行動したいって、行動しようって思っているって事。
そんな思いで、東京に向かいました。
私は運悪く、ライブの一週間ほど前から高熱が出て…(汗)どうやら、インフルエンザでした(TдT)
でも、インフルエンザの特効薬は高熱が出てから48時間以内に投薬しないと効き目がないらしく、私はとおにその時間を高熱が出たまま過ぎていたので、薬も効かず…何も食べれず、まっすぐにも歩けないし、座っているのも困難な状態で、一日一回の点滴生活…
体重ももちろん落ちて、体力も然り…。すぐに息が上がってしまうような状態で、ライブに…(汗)
それでも、火事場の馬鹿力という言葉があるから、あんまり心配はしていなかったのだけど…
というか、こんな状態ははじめててではなくて、長野でやった際も、実は私はロタウイルスにやられていまして、、口にできるものがヨーグルトを少量か黒糖くらい、という最悪な状況の下ライブをしていまして…あはは…
それでもなんとか、メンバーの助けもあって、ライブをすることができたので。
私はライブの前日から東京入りをしていました。
前日は東京の友達と、素敵なカフェに行ったり、レコーディングをしてすごしたのですが、それは別の日記で書くとして、ホテルに帰ってきたのは、深夜の四時を回っていました。
そこから、お風呂に入ったり色々して就寝。
朝、メンバーと花園神社で合流しました。
早朝にバスで着いた人や、前日から友達の所に泊まっていた人、新幹線で駆けつけたり、出張だったからホテルから…とかさまざまですが、なんだか、メンバーの顔が揃っていると、ここが東京なんて思えない不思議(笑)そして、ほっとする。
そのまま、本番前に最後のリハをしにスタジオへ。
何故かバイリンガルになっているメンバーがいたりして(笑)ヘンなテンションのまま一時間、ゲネリハをしました。
ライブハウスに入って、ちらほらと出演者が集まり始めて。
今回は5バンド。四人のバンドもあるけど、六人バンドが標準(笑)なので出演者だけで大変な数に。
このイベントは、みんなが同一のアーティストのカバーバンドが集まっているため、ほぼ全員が、全てのバンドに興味津々でリハからかぶりつき(笑)
なので、なかなか出入りがなく、不思議な緊張感が漂っていました(笑)


リハの様子です♪
本番も一緒。
ほぼ全員が、興味があって本番も見ていて、お客さんも目当てのバンド意外も知っている曲が続くからか残ってくれているから、徐々に客席はパンパン状態に。
結構長丁場だから、もっともっと椅子を最初から用意して置けばよかったんだけど、ずっと立って聞いてくださっていた方達に感謝です。
私は早い段階で、体力が落ちていたので(汗)立っていられなくて、椅子を要求してしまったけど(汗)
私達はトリでした(汗)
本当に遠方から来ていて、大してお客さんも呼べないのに申し訳ない…
アミダだかクジだかで決まったらしいです。
なので、ここまで盛り上がってきた空気を私達で、壊してしまうわけには行かない。
いやがおうにも、プレッシャーは高まってきます。でも、そのプレッシャーが楽しい。そんな夜でした。
私は友達が差し入れしてくれた、ブーケを持ってスタンバイ。
本番ギリギリで、どうやって登場するかというのも、キーボードの杏ちゃんとドラムのなるちゃんとさだっちだったかな?提案してくれて、ボーカルは最初の曲のギターのフィードバックのところで登場して歌えばいいよって。
なかなか、待っているのもどきどきするものです(笑)
フィードバックが聞こえて、私はステージに立ち、ブーケを置いて杏ちゃんに置いてもらっていたマイクに持ち替え、叫び声をあげて、私達のライブが始まりました。
今までも一生懸命に歌ってきました。
でも、この日は今までよりももっと遠くまで…そう、リアルに距離を想像して歌っていました。東北の被災地の人にも届くように。もちろん会場の一人一人の心にも届くように、一人一人の顔を見ながら歌った曲もあります。
ステージに立ったとき、ステージのメンタルリーダーはボーカルです。
馬鹿だって思われてもいい、恥ずかしがっていられない。全部さらけ出して、飛んでいけば好いのに。
私が、この時間はみんなを連れて行かないと。って思っていました。届け、届け、届け。

友達がくれたブーケ♪
いつも、MCが長い私(笑)
今回、かっつかつに曲を詰め込んでいたため、MCは短めね、って釘を刺されていたから(笑)できるだけ短くしました。
後で気がついたけど、さだっちにも話してもらったらよかった。ただ、本番中は必死だったから(汗)
メンバーの紹介の話、震災の話。
メンバーの紹介は、ベースのカトーさんにムフフってなってほしくて、会場の女の子に「ひろくーん」って一斉に呼んでもらったはずなのに、何故か、声がかなり茶色かった…(笑)ぜんぜん黄色くなかった(笑)
地元でする時は、杏ちゃんが女の子をいっぱい呼んでくれるので、次回に期待です!(笑)
震災の話は、もっとちゃんとすればよかったな。
でも、すると長くなるからな。
義援金を集めていますということ。でも、ここでお金を入れないことは恥ずかしいことじゃないって事も。みんな、他でもいっぱいしているし、するなら、もっと信用出来るところでしたい人もいるだろうし。
私達…というか、私の意見だけど、遠くにいても本当に心を痛めている人がいるということも話した。
私が作詞した歌でもないし、ましてや、私の歌じゃない。バンドのメンバーも然り。
人からしたら、意味が無いことのように思うかもしれないけど、やるからには、そこにはちゃんとメッセージがあります。そこは、誰の歌であっても関係がいない。
今回、どの曲も然りなんだけど、今回のこの一件で特に、届けって思っていた曲が三曲。
あまりに思いが詰まりすぎていて、ちゃんと歌えるのか心配だったけど、他の曲を歌うときよりも頭の中は、クリアで、言葉一つ一つが鮮明に頭の中にあった。
初めての感覚だった。一人一人の顔を見て歌った。
届いたらいいのに、届け。包み込めたらいいのにって。そして、みんなで行こうぜ、って。
息切れは、思っていたよりも激しくて、本番中にさだっちに突っ込まれたりもしたけど、、そんなこんなで、なんとか、私達のステージは終わりました。
終わってから、皆で歌うコーナーがあるのです。全てのバンドから楽器一人が出てきてスペシャルバンドを作って、ボーカル全員がステージ上でパート分けした歌を歌うのです。その曲は沖縄で大合唱された、ファンの中では有名な曲。もちろん、会場の方達も全員で歌ってほしいイベントのエンディング。
私が、無責任に提案をして、さだっち他東京の方々が動いてくれて、歌うときに皆が持つ鈴に紐を通して用意してくださったり…。後で思ったのだけど、さだっちに以前「どこを部分を歌いたい?」って聞かれて、あまり考えもしないでソロの印象が強い間奏開けの手拍子だけで歌うところを言ってしまっていて、、思えばそこも私に割り当てていただいて…本当に感謝です。なのに、当日まで私はリハもいけなかったので、本当に申し訳ない(汗)
そのお詫びにというか、そのスペシャルバンドが整うまでの間のつなぎをかって出ました。
会場のみんなで、せいので歌って予行練習したり、、そのちょっとの時間を飽きさせてはいけないって、ちょっと必死で余った時間を関西の1から10の数え方の話なんかもしたけど…よく考えたら、沖縄のドクターヘリの話をすればよかったと、後で後悔…(TдT)
MCとか、ステージでしゃべることって、私はほとんど考えてからステージに立たないので、そのときの空気と思いつきでしゃべるから(汗)
せっかくの沖縄に興味を持っている人が集まっている可能性が高い場所だったのにな。
準備が整ったというさだっちの声で、一夜限りのバンドで皆で歌いました。
さすがに、みんな知っている曲。鈴もみんな鳴らしてくれて、歌も歌ってくれて。
すごく嬉しかった。
私は結構必死で、、というのも、リハを一回しただけだったので(汗)
それでも、これまで何度も聞いてきた曲。
歌詞の内容とも相まって、届け、届け、そして残れって。
結果は大成功と言って良いと思います!
曲の間、みんなが笑顔だった。
それがどうしようもないくらい嬉しかったという記憶はあるのだけど、後で撮った動画を見てびっくりした…私、結構しゃべってる…。ほとんど記憶にないです…
嬉しくてテンションがあがっていたんですね…
(ちなみに、私のマイクに花がついていたのは、このラストの曲でマイクが自分のマイクが分かりやすいように…だったけど、ずっと持っていたから意味が無かった・汗)
と、個人的な反省はいつものように残しつつ、しかし、イベントとしてはきっと成功したと思うし、来た方にも出演した側の人も楽しめたと思います。
なにより、私は今までやってきたなかで、歌うということはは当たり前だけど、それ以外のところ事で学んできたことが一つ一つ生かせたような、そんな達成感もありました。
そして、会場が最後に一つになったなぁって。それが一番の収穫でした。
打ち上げは、出演者意外にもたくさんの方が参加してくださったのだけど、その時に「好きな曲が出来ました?(分かりましただったかな?)」と涙を浮かべていってくれた方もいてくださって嬉しかった。
「今日は言葉が一つ一つちゃんと聞き取ることが出来て、感動しました」って。
そう。その曲は特に届けって思っていた曲の三曲の内の一曲。だから、とっても嬉しかった。
いや、この曲はマコトさんのギターが豊かで、特によくて、感動してくれたのはそのおかげかも。
一つ一つはっきり聞こえたのは、ライブハウスの音作りの傾向が、ありがちな爆音ではなく、ライブハウスには珍しい丁寧で品のある(笑)音作りだったので、それもあるのかもしれないけど(笑)


打ち上げは大人数だったんです!
その後、その会場に来てくださっていた、最近ツイッターで知り合ってお世話になっている…というか、志が素晴らしいのと、行動力がすごいのと、何よりも人柄が素敵で尊敬してるシンガーソングライターの後藤冬樹さんの日記で
---------------------
「唄い始めた瞬間すさまじいオーラを放ちました。
あの現象は本物の唄い手さんにしかない現象です。
声が宇宙へ向かって泳いでゆくイメージなんです。
とても深く惹き付けられました。
そこに人としての色気も溢れ出ていてとても良い存在感を出していました。」
後藤冬樹さんのブログ「後藤冬樹のLife with Love,Life with Music」
http://fuyuki510.exblog.jp/14784095/ より。
---------------------
と書いていただいて、とっても嬉しかったです。
ちょっとは、届いたのかな?って。
だって、本当に声が遠くまで届くようにって、そればっかり思って歌っていたから。
色気が女性としてではないところが引っかかりますが(うそうそ・笑)とってもとっても嬉しかったです♪
(勝手に名前を出して、引用までしてしまってごめんなさい・汗)
私とカトーさんは、その日の夜にバスで帰る予定だったので、夜の11時を回った頃には急いで席を立ったのですが、余韻はずっと残っていたました。
はっきり言って、私達は趣味バンドです。
このバンドでプロを目指そうとも思っていない。
でも、ただの仲良しバンドというわけではなくて、やりたい音楽があるから、なぁなぁではやっていないし、飲み会が毎回あるわけでもなく(笑)、、いわば、サークルではなく、本気の部活なのです。ワイワイしたいからだけに集まっているわけじゃないっていう。
みんな忙しいから、朝早くで無いと集まれないから、朝から集まって練習して即解散とか当たり前。
そんなバンドだから出来たのかもしれない。
本当にこのバンドが大好き。バンドのメンバーが大好き。
音楽がしたいから、バンドがしたいからと、人間関係をどこかあきらめたり我慢する、なんてことは無くて、いい意味で気兼ねがないメンバーだから、続けていられるんだと思う。
バンドは人間と人間の繋がりが一番。
結局ステージから出て行くものは、人が生み出しているんだし。
最後に、心残りが一つだけあります。
今回の出演者の皆で写真が撮れなかった事。それだけが、とっても心残り。
もし次回があるなら、みんなで写真が撮りたい。
良い出会いもあったし、気持ちの良い思いももらうことが出来た、とってもいいイベントでした。
だって、義援金の貯金箱に期待が出来たから(笑)
でもまだ開封されていないので、どれだけ入っているかが分からないのです。
東京にもって行って、各バンドの代表者が集まってあける予定になっているそうです。
早く、その金額と、募金したという報告が出来ればいいな、と思います。
みんなありがとう。
いつもありがとう。
みんな、幸せになろうね。
5/14は東京でコピーバンドのライブをしてきました。
コピーバンドで遠征というのは、なかなか稀なことだと思いますが、私達はこれが始めてではなくて、長野と白馬村でも呼んでいただいた事があって、色んなところでさせていただけてありがたいです。
今回のイベントはうちのバンドのギターのさだっちが、主催というか、音頭をとってくれたのでできたイベント。
忙しいのに、本当に感謝しています。
情熱がすごい人なのです。足を向けては寝れません!!
企画段階では、去年の秋ごろのこと。
バンドで雑談中に、前々から言っていた東京でもやってみたいという一言が、盛り上がった?のが発端だったかなぁ。
もともと、長野へ向かう車の中などでも、ちらっと話題になったりもしていたのだけど、その時点ではまだ「いけたらいいねー」という程度の話でした。
それが、現実味を帯びてきたのが今年に入ってから。
そこから、あれよあれよという間に、出演バンドが決まって、場所も決まって。
出張が東京に多い、さだっちだからこそ、自分で足を運んだりして確実に、さだっちの気質が誠実だからこそ、出来た事なんだろうなぁと思います。
しかし、そこに起こった大震災。
起こってから、本番直前まで、本当にできるのかどうかという不安が付きまとっていました。
ライブハウスにも連絡が繋がらない…といったこともあったし、節電、お客さんが来られるか、お客さんが来たい気分なのか、、などなど。
でも、もうキャンセルをするにもキャンセル料が100%発生する期間に入っていたりもしたし、なにより出演者は全員楽しみにしているだろうし。
ある意味、強行突破くらいの気持ちだったのかもしれない。
でも、嘘じゃなく、根底にあったのは、何か届けたいっていう思いだった。
ツイッターなどで、お花見をしている人や飲み会をしている人、演劇などの公演など、文化や娯楽が叩かれる対象に度々挙がっていたけど、皆が落ち込んでどうするの?という気持ちもあったし、経済を止めてどうしたいの?って。
どんなことをしていても、気持ちは一緒です。
でも、どうにかしなくちゃ。
私達なんかのイベントで、集まる義援金なんて、トップアーティストが集める金額からしたら微々たるものです。
それでも、義援金を集めようって決まった。
何かできることなんて、そんなことと、一生懸命にステージを成功させる事。それくらい。
みんながどんな思いでステージに立ったかは、それぞれだから分からないけど、私は京都に住んでいたから、被害がほとんど無かったとはいえ、あの阪神淡路大震災のあの恐怖も経験しています。
現実起こったことよりも、また起こるかもしれないという、次は京都に来るかもしれないという、余震の度の恐怖。
それが、東北や関東のいたるところで、みんなが抱えている不安やストレスなんだろうとも思った。
うちのバンドには実際にあの日に神戸にいたメンバーがいます。
彼らは、もっと色んな思いがあったのだろうと思います。
伝えたかったのは、遠くにいても、他人事なんかに思っていないって事。本当に心配しているし、どうにかしないといけないって、思って行動したいって、行動しようって思っているって事。
そんな思いで、東京に向かいました。
私は運悪く、ライブの一週間ほど前から高熱が出て…(汗)どうやら、インフルエンザでした(TдT)
でも、インフルエンザの特効薬は高熱が出てから48時間以内に投薬しないと効き目がないらしく、私はとおにその時間を高熱が出たまま過ぎていたので、薬も効かず…何も食べれず、まっすぐにも歩けないし、座っているのも困難な状態で、一日一回の点滴生活…
体重ももちろん落ちて、体力も然り…。すぐに息が上がってしまうような状態で、ライブに…(汗)
それでも、火事場の馬鹿力という言葉があるから、あんまり心配はしていなかったのだけど…
というか、こんな状態ははじめててではなくて、長野でやった際も、実は私はロタウイルスにやられていまして、、口にできるものがヨーグルトを少量か黒糖くらい、という最悪な状況の下ライブをしていまして…あはは…
それでもなんとか、メンバーの助けもあって、ライブをすることができたので。
私はライブの前日から東京入りをしていました。
前日は東京の友達と、素敵なカフェに行ったり、レコーディングをしてすごしたのですが、それは別の日記で書くとして、ホテルに帰ってきたのは、深夜の四時を回っていました。
そこから、お風呂に入ったり色々して就寝。
朝、メンバーと花園神社で合流しました。
早朝にバスで着いた人や、前日から友達の所に泊まっていた人、新幹線で駆けつけたり、出張だったからホテルから…とかさまざまですが、なんだか、メンバーの顔が揃っていると、ここが東京なんて思えない不思議(笑)そして、ほっとする。
そのまま、本番前に最後のリハをしにスタジオへ。
何故かバイリンガルになっているメンバーがいたりして(笑)ヘンなテンションのまま一時間、ゲネリハをしました。
ライブハウスに入って、ちらほらと出演者が集まり始めて。
今回は5バンド。四人のバンドもあるけど、六人バンドが標準(笑)なので出演者だけで大変な数に。
このイベントは、みんなが同一のアーティストのカバーバンドが集まっているため、ほぼ全員が、全てのバンドに興味津々でリハからかぶりつき(笑)
なので、なかなか出入りがなく、不思議な緊張感が漂っていました(笑)


リハの様子です♪
本番も一緒。
ほぼ全員が、興味があって本番も見ていて、お客さんも目当てのバンド意外も知っている曲が続くからか残ってくれているから、徐々に客席はパンパン状態に。
結構長丁場だから、もっともっと椅子を最初から用意して置けばよかったんだけど、ずっと立って聞いてくださっていた方達に感謝です。
私は早い段階で、体力が落ちていたので(汗)立っていられなくて、椅子を要求してしまったけど(汗)
私達はトリでした(汗)
本当に遠方から来ていて、大してお客さんも呼べないのに申し訳ない…
アミダだかクジだかで決まったらしいです。
なので、ここまで盛り上がってきた空気を私達で、壊してしまうわけには行かない。
いやがおうにも、プレッシャーは高まってきます。でも、そのプレッシャーが楽しい。そんな夜でした。
私は友達が差し入れしてくれた、ブーケを持ってスタンバイ。
本番ギリギリで、どうやって登場するかというのも、キーボードの杏ちゃんとドラムのなるちゃんとさだっちだったかな?提案してくれて、ボーカルは最初の曲のギターのフィードバックのところで登場して歌えばいいよって。
なかなか、待っているのもどきどきするものです(笑)
フィードバックが聞こえて、私はステージに立ち、ブーケを置いて杏ちゃんに置いてもらっていたマイクに持ち替え、叫び声をあげて、私達のライブが始まりました。
今までも一生懸命に歌ってきました。
でも、この日は今までよりももっと遠くまで…そう、リアルに距離を想像して歌っていました。東北の被災地の人にも届くように。もちろん会場の一人一人の心にも届くように、一人一人の顔を見ながら歌った曲もあります。
ステージに立ったとき、ステージのメンタルリーダーはボーカルです。
馬鹿だって思われてもいい、恥ずかしがっていられない。全部さらけ出して、飛んでいけば好いのに。
私が、この時間はみんなを連れて行かないと。って思っていました。届け、届け、届け。

友達がくれたブーケ♪
いつも、MCが長い私(笑)
今回、かっつかつに曲を詰め込んでいたため、MCは短めね、って釘を刺されていたから(笑)できるだけ短くしました。
後で気がついたけど、さだっちにも話してもらったらよかった。ただ、本番中は必死だったから(汗)
メンバーの紹介の話、震災の話。
メンバーの紹介は、ベースのカトーさんにムフフってなってほしくて、会場の女の子に「ひろくーん」って一斉に呼んでもらったはずなのに、何故か、声がかなり茶色かった…(笑)ぜんぜん黄色くなかった(笑)
地元でする時は、杏ちゃんが女の子をいっぱい呼んでくれるので、次回に期待です!(笑)
震災の話は、もっとちゃんとすればよかったな。
でも、すると長くなるからな。
義援金を集めていますということ。でも、ここでお金を入れないことは恥ずかしいことじゃないって事も。みんな、他でもいっぱいしているし、するなら、もっと信用出来るところでしたい人もいるだろうし。
私達…というか、私の意見だけど、遠くにいても本当に心を痛めている人がいるということも話した。
私が作詞した歌でもないし、ましてや、私の歌じゃない。バンドのメンバーも然り。
人からしたら、意味が無いことのように思うかもしれないけど、やるからには、そこにはちゃんとメッセージがあります。そこは、誰の歌であっても関係がいない。
今回、どの曲も然りなんだけど、今回のこの一件で特に、届けって思っていた曲が三曲。
あまりに思いが詰まりすぎていて、ちゃんと歌えるのか心配だったけど、他の曲を歌うときよりも頭の中は、クリアで、言葉一つ一つが鮮明に頭の中にあった。
初めての感覚だった。一人一人の顔を見て歌った。
届いたらいいのに、届け。包み込めたらいいのにって。そして、みんなで行こうぜ、って。
息切れは、思っていたよりも激しくて、本番中にさだっちに突っ込まれたりもしたけど、、そんなこんなで、なんとか、私達のステージは終わりました。
終わってから、皆で歌うコーナーがあるのです。全てのバンドから楽器一人が出てきてスペシャルバンドを作って、ボーカル全員がステージ上でパート分けした歌を歌うのです。その曲は沖縄で大合唱された、ファンの中では有名な曲。もちろん、会場の方達も全員で歌ってほしいイベントのエンディング。
私が、無責任に提案をして、さだっち他東京の方々が動いてくれて、歌うときに皆が持つ鈴に紐を通して用意してくださったり…。後で思ったのだけど、さだっちに以前「どこを部分を歌いたい?」って聞かれて、あまり考えもしないでソロの印象が強い間奏開けの手拍子だけで歌うところを言ってしまっていて、、思えばそこも私に割り当てていただいて…本当に感謝です。なのに、当日まで私はリハもいけなかったので、本当に申し訳ない(汗)
そのお詫びにというか、そのスペシャルバンドが整うまでの間のつなぎをかって出ました。
会場のみんなで、せいので歌って予行練習したり、、そのちょっとの時間を飽きさせてはいけないって、ちょっと必死で余った時間を関西の1から10の数え方の話なんかもしたけど…よく考えたら、沖縄のドクターヘリの話をすればよかったと、後で後悔…(TдT)
MCとか、ステージでしゃべることって、私はほとんど考えてからステージに立たないので、そのときの空気と思いつきでしゃべるから(汗)
せっかくの沖縄に興味を持っている人が集まっている可能性が高い場所だったのにな。
準備が整ったというさだっちの声で、一夜限りのバンドで皆で歌いました。
さすがに、みんな知っている曲。鈴もみんな鳴らしてくれて、歌も歌ってくれて。
すごく嬉しかった。
私は結構必死で、、というのも、リハを一回しただけだったので(汗)
それでも、これまで何度も聞いてきた曲。
歌詞の内容とも相まって、届け、届け、そして残れって。
結果は大成功と言って良いと思います!
曲の間、みんなが笑顔だった。
それがどうしようもないくらい嬉しかったという記憶はあるのだけど、後で撮った動画を見てびっくりした…私、結構しゃべってる…。ほとんど記憶にないです…
嬉しくてテンションがあがっていたんですね…
(ちなみに、私のマイクに花がついていたのは、このラストの曲でマイクが自分のマイクが分かりやすいように…だったけど、ずっと持っていたから意味が無かった・汗)
と、個人的な反省はいつものように残しつつ、しかし、イベントとしてはきっと成功したと思うし、来た方にも出演した側の人も楽しめたと思います。
なにより、私は今までやってきたなかで、歌うということはは当たり前だけど、それ以外のところ事で学んできたことが一つ一つ生かせたような、そんな達成感もありました。
そして、会場が最後に一つになったなぁって。それが一番の収穫でした。
打ち上げは、出演者意外にもたくさんの方が参加してくださったのだけど、その時に「好きな曲が出来ました?(分かりましただったかな?)」と涙を浮かべていってくれた方もいてくださって嬉しかった。
「今日は言葉が一つ一つちゃんと聞き取ることが出来て、感動しました」って。
そう。その曲は特に届けって思っていた曲の三曲の内の一曲。だから、とっても嬉しかった。
いや、この曲はマコトさんのギターが豊かで、特によくて、感動してくれたのはそのおかげかも。
一つ一つはっきり聞こえたのは、ライブハウスの音作りの傾向が、ありがちな爆音ではなく、ライブハウスには珍しい丁寧で品のある(笑)音作りだったので、それもあるのかもしれないけど(笑)


打ち上げは大人数だったんです!
その後、その会場に来てくださっていた、最近ツイッターで知り合ってお世話になっている…というか、志が素晴らしいのと、行動力がすごいのと、何よりも人柄が素敵で尊敬してるシンガーソングライターの後藤冬樹さんの日記で
---------------------
「唄い始めた瞬間すさまじいオーラを放ちました。
あの現象は本物の唄い手さんにしかない現象です。
声が宇宙へ向かって泳いでゆくイメージなんです。
とても深く惹き付けられました。
そこに人としての色気も溢れ出ていてとても良い存在感を出していました。」
後藤冬樹さんのブログ「後藤冬樹のLife with Love,Life with Music」
http://fuyuki510.exblog.jp/14784095/ より。
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と書いていただいて、とっても嬉しかったです。
ちょっとは、届いたのかな?って。
だって、本当に声が遠くまで届くようにって、そればっかり思って歌っていたから。
色気が女性としてではないところが引っかかりますが(うそうそ・笑)とってもとっても嬉しかったです♪
(勝手に名前を出して、引用までしてしまってごめんなさい・汗)
私とカトーさんは、その日の夜にバスで帰る予定だったので、夜の11時を回った頃には急いで席を立ったのですが、余韻はずっと残っていたました。
はっきり言って、私達は趣味バンドです。
このバンドでプロを目指そうとも思っていない。
でも、ただの仲良しバンドというわけではなくて、やりたい音楽があるから、なぁなぁではやっていないし、飲み会が毎回あるわけでもなく(笑)、、いわば、サークルではなく、本気の部活なのです。ワイワイしたいからだけに集まっているわけじゃないっていう。
みんな忙しいから、朝早くで無いと集まれないから、朝から集まって練習して即解散とか当たり前。
そんなバンドだから出来たのかもしれない。
本当にこのバンドが大好き。バンドのメンバーが大好き。
音楽がしたいから、バンドがしたいからと、人間関係をどこかあきらめたり我慢する、なんてことは無くて、いい意味で気兼ねがないメンバーだから、続けていられるんだと思う。
バンドは人間と人間の繋がりが一番。
結局ステージから出て行くものは、人が生み出しているんだし。
最後に、心残りが一つだけあります。
今回の出演者の皆で写真が撮れなかった事。それだけが、とっても心残り。
もし次回があるなら、みんなで写真が撮りたい。
良い出会いもあったし、気持ちの良い思いももらうことが出来た、とってもいいイベントでした。
だって、義援金の貯金箱に期待が出来たから(笑)
でもまだ開封されていないので、どれだけ入っているかが分からないのです。
東京にもって行って、各バンドの代表者が集まってあける予定になっているそうです。
早く、その金額と、募金したという報告が出来ればいいな、と思います。
みんなありがとう。
いつもありがとう。
みんな、幸せになろうね。
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